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【国際交流PRアソシエイトからの発信★】盛岡の記憶:ドラマ『そして、生きる』ロケ地めぐり

掲載日2022.4. 4

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【国際交流PRアソシエイトからの発信★】

「そして、生きる」というドラマを観たことがありますか?開運橋や愛宕山展望台等、盛岡もこのドラマのロケ地のひとつになっているようです???。岩手大学国際交流PRアソシエイトの李春潤さんの記事をぜひご一読ください。(言語:日本語、中国語)

★★岩手大学国際交流PRアソシエイトとは?★★

岩手大学や岩手の生活の魅力について、留学生の目線から、世界に向けて多言語発信することを目的として活動する国際交流PRアソシエイトが活躍しています。

盛岡の記憶:ドラマ『そして、生きる』ロケ地めぐり

 こんにちは。岩手大学総合科学研究科2年の李春潤です。毎年3月11日ごろ、日本の各メディアは11年前の東日本大震災の特集報道をします。3月10日午後、盛岡の中心部を歩き、ドラマロケ地めぐりをしました。このドラマは『そして、生きる』で、東日本大震災にも関わっています。

 盛岡の冬は長いです。毎年3月末になっても、東京の桜が満開の時期になっても、盛岡はまだ大雪が降りしきります。今年の冬はとりわけ寒いようです。時には雪が一日中静かに降って、町全体を白く染めます。すぐに雪かきをしないと、家の前に厚い氷が張ってしまいます。夜、よく白鳥の群れが飛んでいて、その鳴き声がはっきり聞こえます。私が初めて盛岡に来たのも冬でした。冬になってこそ、このまちが本来の姿を現すと感じます。『そして、生きる』の物語の起点は11年前の盛岡の冬です。

 『そして、生きる』は2019年の夏に放送され、岩手県の盛岡市、住田町、宮城県の気仙沼市と東京都を舞台にしています。東日本大震災後、ボランティア活動で出会った二人の男女が過酷な運命の中に人生の道を切り開く物語です。主演は有村架純さんと坂口健太郎さんです。9年前、有村架純さんは岩手で撮影された朝ドラ『あまちゃん』でブレイクを果たしました。『そして、生きる』の中で、有村架純さんは幼い頃に両親を亡くし盛岡の伯父に育てられ、女優を目指す主人公?瞳子を演じています。坂口健太郎さんは東京の裕福な家庭で育ち、慈善事業に熱心な主人公?清隆を演じています。

 2019年の夏に『そして、生きる』を見て、ロケ地の一つである愛宕山展望台に行きました。当時は高松の池から北山散策路に沿って長い山道を歩いていました。しかし、冬にこの道を歩くのは不便なので、今回はバスで向かいました。このドラマは愛宕山展望台でいくつかの重要なシーンがあります。愛宕山展望台からは盛岡市街地が一望でき、夜になると綺麗な夜景が楽しめます。雪の中の愛宕山展望台も壮観です。残念なことに、その日は雪が降らなかったし、最近気温が上がったので、地面の雪もだいぶ溶けてしまいました。

1.jpg愛宕山展望台

2.jpg展望台から見た盛岡

 中津川沿って南西へ二十数分歩いて、もう一つのロケ地「紅茶の店 しゅん」に着きました。「紅茶の店 しゅん」は1985年開業の紅茶専門店です。店内のインテリアが洗練されていて、飲み物とデザートも風味があり、昭和の雰囲気が色濃いです。『そして、生きる』の中で、瞳子と親友のユリはこの店でアルバイトをしていました。北西へ進むと内丸に着きました。内丸にある櫻山神社は私がよく行く場所です。櫻山神社の歴史は寛延2年(1749年)にさかのぼり、盛岡の中心部で最も有名な神社として毎年祭りの時は賑わっていました。ドラマの中で、櫻山神社参道の脇に瞳子のポスターが貼られていました。

3.jpg紅茶の店 しゅん

4.jpgスコーンとラッシー

5.jpg櫻山神社参道

 大通商店街沿って西へ十数分歩いて、開運橋に着きました。開運橋は盛岡駅と市中心を結んでいて、北上川に架かる最も重要な橋の一つです。このまちにとって、開運橋は「到着」や「離れる」ことを象徴し、「二度泣き橋」と呼ばれています。演歌歌手の氷川きよしさんに『二度泣き橋』という歌があり、開運橋のことを歌っています。ドラマの中で、瞳子と清隆が開運橋の西側を散歩するシーンが印象的でした。

 東日本大震災により東京での女優オーディションを逃した瞳子は、震災後の気仙沼で清隆との出会いが人生の軌跡を一変させました。『そして、生きる』の主旨は、時代の災難を背景に個人の悲劇を反映することです。『武漢日記:封鎖下60日の魂の記録』の著者である方方さんが言ったように、「わずかな時代の塵でも、それが個人の頭に積もれば山となる」。そして、傍観者にとって、他人の悲劇は共感しにくいだけでなく、通常は気づかれていないです。瞳子の後輩の真二は清隆に嫉妬していますが、清隆が幼い頃に母親の自殺を目撃したことを知らないです。同じように、私は岩手の沿岸部を何度か訪れたことがあります。普通に大槌町、大船渡、陸田高前などのスーパーで買い物をしていましたが、行きずりの人が東日本大震災ですべてを失ったのかもしれません。

 私たちは歴史の流れに巻き込まれて、北上川の中の浮萍のようです。しかし、私たちは、この物寂しくて不確かさに満ちた冬に、盛岡の桜が4月中旬に咲き、春が必ず訪れることを知っています。

盛冈记忆:电视剧《然后,活着》拍摄地巡礼

大家好。我是岩手大学综合科学研究科2年级的李春润。每年的3月11日左右,日本的各大媒体都会对11年前的东日本大地震进行专题报道。3月10日午后,我漫步于盛冈市中心,进行了一次电视剧拍摄地巡礼。这部电视剧就是《然后,活着》,也与东日本大地震有关。

盛冈的冬天是漫长的。即使到了每年的3月底,东京的樱花满开的时节,盛冈仍然大雪纷飞。今年的冬天似乎格外寒冷。有时雪会静静地下一整天,把整个城市染成白色。一旦不及时扫雪,家门前便会结上厚厚的冰。夜里,常有成群的天鹅飞过,叫声清晰可闻。我第一次来盛冈也是在冬天。感觉只有到了冬天,这座城市才会露出本来面目。《然后,活着》的故事起点便是11年前盛冈的冬天。

《然后,活着》于2019年夏季播出,以岩手县的盛冈市、住田町、宫城县的气仙沼市和东京都为舞台。讲述了东日本大地震后,因志愿活动而相遇的两位男女在残酷的命运中开辟人生道路的故事。主演是有村架纯和坂口健太郎。9年前,有村架纯凭借在岩手拍摄的晨间剧《海女》人气暴涨。在《然后,活着》中,有村架纯饰演幼年失去父母、被盛冈的伯父养大,以女演员为目标的女主角瞳子。坂口健太郎饰演成长于东京的富裕家庭、热心于慈善事业的男主角清隆。

我在2019年夏季就看了《然后,活着》,并且去了取景地之一的爱宕山展望台。当时是从高松池沿着北山散步路走了好长一段山路。然而在冬天走这条路很不方便,于是这次便坐巴士前往。这部剧在爱宕山展望台有好几个重要镜头。从爱宕山展望台上可以眺望盛冈市区,到了晚上更是能欣赏到很美的夜景。雪中的爱宕山展望台也十分壮观。可惜那天没有下雪,并且因为最近气温回升,地上的积雪也融化了不少。

沿着中津川向西南走二十几分钟,便到了另一个取景地"红茶的店 xun"。"红茶的店 xun"是1985年开业的红茶专卖店。店内的装潢十分考究,饮品和甜点也别具风味,有着浓浓的昭和时代的氛围。在《然后,活着》中,瞳子和好友由利在这家店打工。往西北走就到了内丸。位于内丸的樱山神社是我经常去的地方。樱山神社的历史可以追溯到宽延2年(1749年),作为盛冈市中心最有名的神社,每年祭典的时候热闹非常。在剧中,樱山神社参道旁贴着瞳子的海报。

沿着大通商店街往西走十几分钟,便来到开运桥。开运桥连接着盛冈站和市中心,是在北上川上架设的最重要的桥梁之一。对于这座城市来说,开运桥象征着"抵达"或"离开",被称为"两度哭泣之桥"。演歌歌手冰川清志有一首叫做"两度哭泣之桥"的歌,唱的就是开运桥。在剧中,瞳子和清隆在开运桥西侧散步的镜头令人印象深刻。

东日本大地震使瞳子错过了在东京的女演员甄选,而在灾后的气仙沼与清隆的相遇更是彻底改变了她的人生轨迹。《然后,活着》的主旨就是在大时代的灾难的背景下反映个人的悲剧。正如《武汉日记》的作者方方所说的那样,"时代的一粒灰,落在个人头上就是一座山"。而对于旁观者来说,他人的悲剧不仅难以感同身受,甚至通常没有被察觉。瞳子的后辈真二很嫉妒清隆,但他并不知道清隆幼年时曾亲眼目睹母亲自杀。同样,我曾经很多次造访岩手的沿岸部,寻常地在大槌町、大船渡、陆田高前等地的超市买东西,也许一些与我擦肩而过的人就是在东日本大地震时失去了一切。

我们被历史的洪流裹挟着,如同北上川里的浮萍。不过,在这样一个肃杀而又充满不确定性的冬天里,我们所能知道的是,盛冈的樱花会在4月中旬开放,春天终将到来。